高校卒業までの18年間を地元・札幌で過ごし、都内の大学に進学しました。学生時代は特別に何かへ打ち込んだというよりも、学業、アルバイト、遊びと「普通の大学生活」を送っていました。当時は将来について深く考えていたわけではありませんが、全国転勤のある企業で、人の役に立つ仕事がしたいという漠然としたイメージは持っていました。
入社後は、弘前で自動車保険の損害サービス担当としてキャリアをスタートしました。ちょっと前まで学生だった自分が、お金や法律、そして感情も絡む事故対応の最前線に立つのは、正直かなり大変でした。知識も社会経験もない中で、毎日の業務そのものが勉強の連続でしたが「分からないことは調べればいい、詳しいプロに聞けばいい」と上司から教わり、仕事の基礎姿勢がこの時期に身についたと感じています。
その後、大阪へ異動。物損事案のチームリーダーを担当しました。東北とは地域性やお客さまの考え方も違い、最初は戸惑うことも多くありました。案件数も増え、不正請求などイレギュラー対応も増えたことで、これまでの経験だけでは対応できない場面もありましたが、先輩や顧問弁護士の助言を受けながら、少しずつ対応力を高めていきました。
大阪異動直後に熊本地震が発生。間もなく現地入りして対応にあたりました。インフラも十分に整っていない中、全国から集まった社員と泊まり込みで損害調査を行い、被災されたお客さまから直接感謝の言葉をいただいたことは、今でも強く印象に残っています。全国から集まった社員たちの熱意と優秀さにも刺激をもらいました。
先輩たちのオールマイティな活躍に刺激され、物損だけではなく人身損害事案についても学びたいと考えていました。当時は全国転勤を続けて、それぞれの地域の環境や地域性、多様な職務を体験したいと思っていました。
弘前は小規模でアットホームな環境。若手も少なく、皆さんに息子のように可愛がっていただきました。関西での暮らしは観光含めいろいろと楽しい日々。一方で北海道育ちの自分には、夏の暑さだけはキツかったですね…。
北九州では、それまで経験の浅かった人身損害事案を担当しました。それまで担当していた物損事案と異なり、人の身体や人生に関わる分野であることから、違った意味での責任の重さを強く感じるようになりました。また、このころから、メンバーの育成やチーム運営にも関わるようになり、個別事案担当から管理職寄りの役割へと少しずつ立場が変わっていきました。正直、最初は「自分に管理職の適性があるのか」と悩むこともありましたが、チームメンバーに支えられ、試行錯誤を重ねながら、チームで成果を出すことの面白さも学びました。
その後の東京勤務では、大口法人のお客さまを専属で担当。法人と日々連携しながら対応方針を考え、より良い仕事を目指す経験は、それまでとは違った視点を得られる貴重な機会でした。
このころ、長女が小学校にあがり、第二子の長男が誕生。このまま家族帯同で転勤を続けるか、単身赴任をするかなど、家族と働き方について真剣に考えるようになりました。家族は、私の単身赴任を嫌がりましたし、私も子供が転校ばかりになるのは…と悩んでいたところ、「全域型」と「地域型」を相互に転換できる制度が新設され、熟考の末、応募することにしました。
制度の第一期生ということもあり、キャリアへの影響やポストの有無など正直不安もありましたが、「家族と向き合った選択をしたい」という思いが最終的な後押しになりました。
2024年4月からは地元・札幌で勤務しています。現在は物損種目のリーダーとして業務に取り組んでいます。「地域型」に変わることで良くも悪くも社内での立場が変わるのでは…?と思っていましたが、実際はこれまで以上にいろいろな業務を任せてもらっています。保険金不正請求対応に関して、損害保険協会からの表彰も受け、どの地域にいても会社や社会に貢献できるということをあらためて感じました。
学生時代に明確なキャリアプランを持っていなかった私でも、仕事をしながら自分の進むべき道を見つけることができたと感じています。規模も大きく、各種制度も充実していて、地域も職種の選択肢が多いからこそ、自分の人生設計に合わせた働き方ができる。それが、当社の魅力だと思います。私自身、さまざまな場所での勤務を経て、幸せに過ごせていることに感謝しています。
各地域での勤務経験や、たくさんの先輩・同僚と働いてきた経験、そして社内制度を利用した経験。仕事はもちろん、私の得たさまざまな知識・経験を地元に還元していくことが今後の目標のひとつです。そして、周囲から信頼される損害サービス部門のエキスパートになれたらと考えています。
働き方を支える制度
(2024年4月の異動反映が第一期となる)
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